笑顔を ”Reproduce”

小顔 Art Director がクリエイティブな目線で<ビフォーアフター>を中心に小顔や身体について徒然に書いています

自分で限界を決めない。40代の新人エステティシャンが開業できる秘訣

 

施術者となってまだ5年

施術者となっての年数は、まだ5年。なぜこの業界に足を踏み入れたのか書きたいと思う。なんだか履歴書を書いているような気がするのだが、深く考えるのはよそう。

私は過去に「衣食住」に関連する接客、営業、経理、事務、物流等、あらゆる事に携わっていた。その他に、大手証券会社の重要書類を扱うアルバイトや、テレアポ等、どれも本当に面白かった。職場の環境にも恵まれ、その道を極めたかったが、私は家族を優先し、任されていた職位を捨て、夫の転勤について回った。そういった事を数回繰り返して、今は東京に住んでいる。

私は、過去行く先々で、様々な業種の仕事をして来たが、同じ職種を選ばなかった。いつも、そこそこ責任を持たされていたが、そこで完全燃焼してしまっていたので、常に新しい職、新しい能力を求めて職に就いていた。当然ながら、毎度未経験なので、いつも一から下っ端。それも、半年を過ぎれば慣れて来るし、過去の職歴が多いため、器用貧乏も相まって、自分で仕事を見つけて、それとなくこなしていたので、上司からも仕事を色々任された。今後、就職するつもりは毛頭ないが、職務経歴書は2枚で収まらないかもしれない。

 

施術者への転機

東京に引っ越して来て、知人の紹介で大手企業の労働組合がクライアントの営業事務や、大手モバイル企業がクライアントの、ベンチャー企業の派遣事務など、決して大きくない会社だったが、どちらも特殊な面白い仕事に就いていた。

派遣先の女性がいつも激務をこなし、疲れた姿を見て「頑張っている沢山の女性を癒したい」と突然思い立ち、奮起した私は、この業界に飛び込む決意をした。当時、自分が売りたい、と思える商品もなく、生涯現役で一生働くには手に職を。と考え、反対する家族の説き伏せ、セラピスト養成スクールに通った。そこで、かけがえのない友人に出会えた事など素晴らしいスクールライフを送った。

 

  

40歳の新人エステティシャン

40歳を過ぎて入ったエステ業は、小さな女の世界なので、若干イジメにもあった。その時は嫌な事も多々あったが、過去にも老若男女、女性の多い職場でも苦労した事があるので、そこでもあまり苦ではなかった。何十年のキャリアで生きて来た先輩に、よく小言を言われたが、それより新人の私が、施術に入りながら、事務や社長秘書的な業務など、よくこなしたと思う。  入って一年目は、一日13時間、休憩なしで月6休という激務だった。自宅に帰って食事をしながら、髪を乾かしながら、寝てしまったこともあった。その上に、勤務外の容赦ないメールや電話等に、全て対応していた。本来なら、他業種から来た人間は、この労務に訴えもせず、修行だと思い、ある程度我慢して働いていた。それが今の糧になっていることは間違いないと思うし、これから雇用する立場になるかもしれない事を考えたら、絶対にやってはいけない事だと身に染みて分った。私は何事も経験しないと分からないので、かなり遠回りする要領の悪い人間だとつくづく思った。

 

施術者は年数でない

私は技術的なキャリアは少ない。技術トレーナーの方に「施術者は年数ではない。どれだけアプローチできるか。ほぐせるか。年数があってもいつまでたっても、上手にならない人もいる。たった数年でも上手な人もいる。貴女の技術なら大丈夫。」と言われた事がある。それが、今の自信になっているのは確かなのだが、私にはキャリアのある方に負けない武器がある。それは数々の就職経験だ。その仕事に就かないとわからない痛み。ストレス。悩み。ある程度の人が経験するであろう、職業に従事し、女性が経験するであろう日常生活を経験して来た。その痛みと、気持ちに、寄り添う事ができるのは強味だと思う。それもこれも、断されるのは、お客様なのだが。

 

マイナスからのスタート

かくして私は今、何の縁も所縁もない、代々木上原という素晴らしい場所で、自分が商品になり、独立してサロンをしている。しかも、前サロンの顧客を一切連れて来ず、知り合い殆んどおらず、マイナスからスタートしている。田舎の友人は、きっと頭を傾げていると思う。私は、いつも意表を突くのが、どうも好きらしい。

 

周りの人を幸せにする目標

わずか5年で、何となくここまでは来れる。私は家族の援助がなければなしえなかった。日々の激務の時も、家事は全て姑が行なってくれた。夫も家庭に仕事を持ち込んでも怒らなかった。本当に家族に感謝してもしきれない。その為に、今迄以上に頑張らなくてはならない。まず、ゼロをプラスに変えて行く。私には沢山の夢がある。笑顔にしたい人が沢山いる。お客様や仲間、家族。私は中学の文集で「周りの人を幸せにする」と書いている。高校の時も同じような事を書いた。これだけは、この歳になっても変わらない。

 

最後に

嬉しい事に、派遣時代に激務に追われた女性は、私のリフトアップ技術を気に入ってくれ、お客様として、毎月通ってくださっている。私はいつも、人に支えられて生きている。本当にありがたい。今まで出会っている方。これから出会う方。全ての方に、笑顔を届けていきたい。

長々と、私の経歴を最後までお読みいただき、ありがとうございます。もし、色々この先々を悩んでらっしゃる方がいたら、自分で限界を決めないで、自分の可能性をどんどん見出して欲しい。失敗すれば、またやり直せばいい。遠回りでも必ず自分の居場所は見つかるはず。そう信じて頑張って欲しいと思うし、一緒に頑張ろう!

 

今日も笑顔を届けたい

 

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